マントノン候夫人 Marquise de Maintenon

Publié le par tomoko

前回はギャラントリー(趣味的恋愛)についてでした。

貴族社会は誰も彼も恋愛ゲームで暇つぶしをしていたなかにも、

慎ましやかで地味でありながらもルイ14世の愛を授かった

かたもいらしたのです。

 

 

タターン!

 

その女性はマントノン候夫人です。

 

 

 

 

     マントノン侯爵夫人の肖像

  マントノン夫人の肖像

 

 

 

1635年11月に私の住んでいる町、ニオールで

フランソワーズ ドービニェが誕生しました。

 

なんと、出生したのはニオールのドンジョン(城砦)です。

その時代ドンジョンは監獄として使われていました。

 

 

 

彼女の父親、コンスタンス・ドービニェは前妻を刺殺した

殺人犯として投獄されていたのです。

 

ドービニェという家柄が名門であったため死刑にならず、

受刑者として後妻のジャンヌ・ド・カルディヤックと結婚生活を

ドンジョンで送っていたというわけです。

 

フランソワーズが2歳のとき叔母に引き取られ7歳まで叔母と暮らし

父親が釈放されたので両親と彼女の兄としばらく暮らしました。

 

しかし5年後、父と兄と同じ年に失い、母のジャンヌも亡くし、

彼女は修道院で暮らすことになりました。

 

彼女の信仰深さや、穏やかな性格は修道院生活で

養ったものなのでしょう。

 

そして年頃になったフランソワーズは

パリの叔母のもとで暮らすことになります。

 

17歳のとき25歳も年上のポール・スカロンと結婚しました。

サロンで詩人で作家でもあるスカロンと出会ったのです。

 

スカロンは有名な人気作家でした。彼はフランソワーズを

妻と言うよりは娘のように可愛がったそうです。

 

スカロンの文学サロンで彼女はより教養豊かで魅力的な

女性へと成長しました。

 

 

スカロン夫人となったフランソワーズは25歳と言う若さで未亡人になってしまうのです。

また生活に苦労することになりましたが、王が催した舞踏会を通して

宮廷社会の縁が開きました。

 

1669年に国王ルイ14世と公式妾の

モンテスパン候夫人との子供達の教育係を依頼されました。

 

 

モンテスパン侯爵夫人

 

モンテスパン公爵夫人(フランソワーズ・アテナイス・ド・モルトゥマール)

 

 

 

 

 

モンテスパン公爵夫人は真っ白の肌を持ち妖艶な雰囲気がある

美しい女性でしたが、公爵夫人は王の愛を独り占めにしようという

執念はすさまじいものでした。 

 

女魔術師のラ・ヴォアザンのもとに通い何度も黒ミサ(嬰児を生贄にした儀式)

を行い 、怪しげな媚薬を購入したりしていました。

 

モンテスパン公爵夫人は自分の子供達は放ったらかしでしたので、

スカロン夫人が暖かく母性を子供達に注いでいました。

 

そうして国王ルイ14世も信頼と安らぎをスカロン夫人に

感じるようになったのです。

 

ルイ14世はスカロン夫人に感謝の気持ちを込めて20万リーブルを

贈りました。そしてそのお金でマントノンの町に領地と城を買い、

程なくしてスカロン夫人はマントノン夫人と呼ばれるようになりました。

 

 

 

 

 

マントノンの城館 正面

 

マントノンの城 パリ南西70kmのマントノンの町にある。

 

 

 

 

 

 

1967年とうとう魔術師 ラ・ヴォワザンの黒ミサが発覚されその

ミサにモンテスパン公爵夫人も参加していて、悪魔との契約をしていた

署名が見つかりました。

 

逮捕されたラ・ヴォワザンの自宅からは何千もの嬰児の遺体が

見つかりました。

 

そしてこの事件にショックを受けたルイ14世は前にもましてマントノン夫人に

心の安らぎを求めるようになり、神の前で彼女に愛を誓ったのです。

 

そのとき国王は46歳、マントノン夫人は49歳でした。

この結婚に最もショックを受けたのはモンテスパン公爵夫人でした。

全く若くもなくしかも自分の子どもの教育係であり、

身分も低い女性が王妃の座に座ることに敗北を味わったわけです。

 

華やかなことを好んだ国王がマントノン夫人の影響を受けて質素な

落ち着いた生活を宮廷人は不満を持つようになってしまいました。

 

しかしルイ14世が77歳で死去するとき、マントノン夫人に

「私はずっとあなたを愛し続けている。この世の心残りは、

あなたのことだけだ」と言い残したそうです。

 

そうして彼女も彼女が貧しい貴族の子女のために建てた

サン・シールの女子学校に引きこもり祈りの日々を送りました。

 

84歳と言う長い波乱な人生を静かに全うしたのでした。

 

 

最後に勝つのはやはり美しい真心なのね・・・

 

 

Publié dans culture

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